スポンサーサイト

上記の広告は90日以上記事の更新がないブログに表示されます。新しい記事を書くことで、こちらの広告が消せます。

  

Posted by おてもやん at

2011年11月27日

お茶の入札会

お茶が茶園で作られ、店頭に並ぶまでにどういうルートがあるかと言うと、これが様々な流通経路があります。
そもそもお茶が茶工場で作られた時点で商品として通用するかと言うとそうではなく、仕上げだの合組みだのという専門用語が飛び交う過程を経て、茶袋に詰められ、商品となります。

色々なルートについてはおいおいと説明するとして、流通形態の一つとして、JA経済連が主催して行う茶入札販売会が11月25日に行われましたので、紹介したいと思います。



経済連主催の入札販売会は、本来は新茶が出来た時に間をおかずに頻繁に開催されます。
ですから5月などは月の内20回ほど開催されますし、晩秋の今の時期はまったくと言っていいほど開催されませんが、この日は今年最後の入札販売会ということで特別に開催されたものです。



多くの種類のお茶が「拝見盆」という黒い器に盛られ並べられ、それと一緒に茶をお湯で出した湯呑も並べられるのです。それを見比べながら、これはと思うお茶については色や味、香りを確認するためにもう一度お湯で抽出して見ます。



湯呑にはかご網が入れてあり、そこに茶の葉を入れます。



そこへポットのお湯を注ぎ入れます。ドボドボッと出しちゃうと、お湯が跳ねて、あっちっち!になります。



こうしてお湯を注いだ後、茶葉の様子を見て、比較したりします。



そして、味を見る時はスプーンですくって飲んでみます。

気に入ったら・・希望金額を書き込んで入札します。

いくらに入れて、実際いくらで落ちるかはまさにお茶次第。千差万別です。
ちなみに入札価格はkg当たりの単価で記入します。

今年の新茶時の最高値は2万円でしたが、これはご祝儀価格。
6~7000円なら高い方です。安い方は数百円まで、色々です。

これを仕上げて合組みして店頭に出す商品になるのですが、つまりこれらは原料のお茶というわけです。








  


Posted by おちゃいち at 22:16Comments(1)お茶について

2011年11月18日

若葉小50周年(2)くまモン登場




昨日11月17日の若葉小学校50周年式典の続きです。

さて、式典は厳粛に(というほどでもないか・・)午前中で終わり、
来賓のお客様一同は帰られました。

その後くまモンが来るよ、という情報は聞いていましたので、
せっかくだから、と私は残ってくまモン登場を待ちました。

子供たちは体育館にいます。先生たちはきっと話しをしながら時間をかせいでいるのでしょう。

保健室の中で変身を終えたくまモンがやっと出てきました。



一応、子供たちにはくまモンが来るということは秘密になっています。
びっくりさせて喜ばそうということですね。若葉小サプライズとでも言いましょうか・・。
でも子供たちにはくまモンが来るという情報は口コミで漏れているようです。
先生達としては知られていないと思っているわけです。



体育館の横から、生徒たちに気づかれないようにシートで隠しながら、

一方、生徒たちは先生の話しを聞いてはいますが、一部の生徒は体育館の右側の入り口が気になるようで・・。



そして、ついにくまモンが入ってきました!



ワッと起こる歓声!くまモンはすごい人気です。



くまモン君の紹介やパフォーマンスの後、くまモン体操の始まりです。
皆一緒に踊ります。
午前中の式典は忘れてしまうでしょうが、くまモンと踊ったこの時間は
子供たちの中で楽しい思い出としていつまでも残るでしょう。
(それでいいのだ・・)





ついでですが、当店にもくまモンデザインのお茶があります。
「よかよ」という名前で売っています。
100g入りで980円。
県の使用許可取得済みです。







  


Posted by おちゃいち at 21:21Comments(0)地域活動

2011年11月17日

若葉小学校創立50周年(1)

11月17日、熊本市立若葉小学校の創立50周年記念式典がありました。

そこで私は何しに行ったかと言うと、
50年前の第1回新入学生として入学した当時のことを語ってくれという依頼を受けて、式典で話しをするために行ったのです。


若葉小学校の校舎です。

体育館の中で行われました。


この式典の中で私が何を言うか・・

原稿をそのまま見ていただく方が早いような気がしますので、原稿を見てください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

みなさん、こんにちは。
私の名前は有働栄一と言います。
これから50年前の若葉小学校のことを少しお話ししたいと思います。
私は昭和37年4月に第1回新入学生として若葉小学校に入学しました。
私より上の学年は同じ年に泉ヶ丘小学校から編入という形で若葉小学校に来たわけです。その頃はまだ校舎や教室も少なく、上の学年の生徒達はずいぶんと窮屈な思いで授業を受けたのではないでしょうか。私たち新1年生にとっては小学校自体が初めての体験で、他に比べるものを知りませんから、ある意味こんなものなんだろうなと思っていたわけです。

校庭は広いけれども水はけが悪く、雨が降るとあちこちに水たまりが出来ていました。それも結構大きな水たまりで、梅雨時などにはそこにしばらくするとカエルが卵を産み付け、おたまじゃくしが泳いでいたなどということもありました。

今から50年前というと小学校の周辺もまだまだ畑が多く、民家も少ない状態でしたが、それでも若葉小学校を中心とした東部地区はその時期から住宅と人口がどんどん増えていったのです。ですから私たちが新一年生として入学した時にはこれから大きく増えていく地域のニュースとしてテレビカメラが校門のところで待ち構えていました。
ちなみにその頃は今と違ってテレビがやっと普及しだしたころで、もちろんカラーではなく白黒の画面でした。そしてテレビのある家の方が珍しく、子供たちはよく近所のおうちにテレビを見に行ったりしていました。

さてそれでは若葉小学校開校前後の校区周辺の様子はどうだったのでしょう。
まず、私が生まれた昭和30年の10年前の昭和20年に「太平洋戦争」あるいは「第二次世界大戦」とも言いますが、そういう大変大きな戦争が終わりました。
その頃はこの辺りから今の自衛隊駐屯地の先までの広い地域が「健軍」という地名でした。そして戦時中には、今の市電電停から自衛隊の先にかけてとても大きな「飛行機工場」がありました。その頃爆撃機などを作っていたそうですが、今からはとても想像できませんね。

そして戦争が終わった後は自衛隊が出来て、その周辺は広い原っぱのまま残っていました。私が低学年の頃までは今の第二高校、健軍東小、自衛隊病院の辺りは草ぼうぼうの原野みたいな感じでした。その中に建物の残骸のコンクリートがあったり、防空壕の跡があったりして、そこで遊んでいた記憶があります。聞いている皆さんにはたぶん想像がつかないと思うのですが、例えて言うと、阿蘇の草原の中に壊れかけたコンクリートの柱が何本も建っているような景色です。その頃はそんな不思議な風景がいたるところにありました。
そして健軍商店街も昭和30年代から少しずつ店が増えていくのですが、私が小学1年生の時くらいは店もそんなに多くなく、静かな街でした。ある初夏の夜、商店街の近くの住宅の垣根にホタルが飛んできたのを見た記憶があります。
その頃、今の動植物園はもちろんなくて、江津湖から庄口公園辺りにかけては湧き水の湧く沼地でした。きっとそこから飛んできたのでしょうね。
その他にも若葉小学校周辺は畑や小川も多く、魚や虫たちの種類も沢山いて、とても自然に恵まれた地域だったのです。

ところで皆さん達は今は遠足はどこに行きますか?私がよく憶えている遠足は6年生の時、新1年生も含めて皆で行ったお見知り遠足です。
その時、自衛隊の先の方に「健軍飛行場」という飛行場があってそこまで歩いて行ったのです。先ほど、昔自衛隊の辺りに飛行機工場があったと言いましたが、その時作った飛行機を飛ばすための飛行場が、戦後、熊本飛行場として使われていたのです。その場所は今の日赤病院あたりです。距離にすると約4kちょっとありますから、1時間以上かけて歩いて行ったのですね。6年生はともかく、1年生も一緒に歩いたのですから、よくがんばって歩きましたね。
たぶん、そのあとまもなく飛行場は今の益城空港に移転しましたので、飛行場を見る最後の機会ということで特別に行ったのではないかと思います。

その他には今の東稜高校が出来る前にそこには県の茶業試験場がありまして、茶畑とか椎の木林なんかがあり、そこへも遠足で行ったりしていました。
そういうことが楽しい思い出として記憶に残っています。

また、学校でもよく遊びました。昼休みなどには校庭でドッジボールをやったり、大勢で団子のようになってサッカーをやったり、寒い冬の日には教室で押しくらまんじゅうなどをしたりしていました。
皆さんは今どんな遊びをしていますか?
学校の様子も昔と今とでは、変わらない部分も変わってしまった部分も色々ありますね。木が多かったのは昔も変わりません。でも大きさはずいぶん大きくなりました。立派な体育館も昔はありませんでした。東門も立派な門になりましたが、昔は小さな東門がちょこんとついていた時期がありました。今でもその名残りだけはありますが、どこにあったか分かりますか?

さて、ここで皆さんに質問です。
皆さんの歳に50を足すといくつになりますか?
高学年の人達はすぐに計算できたのではないでしょうか。
59になったという人もいれば60になったという人や61になったという人もいるでしょう。この数字は50年後に皆さんがなっている年齢ですね。 
想像できますか?
えーそんな先のことは想像がつかない、と思ったでしょう。
そう先のことはよく分からないですよね。
でも、一つだけ確かなことは、50年後には、若葉小学校が創立100周年を迎えるということです。
その時には皆さんの中から1人か2人、あるいは3,4人くらい、この壇上に立って50年前の思い出を話したり、挨拶をしたり、記念品を贈ったりしているかも知れません。
だから、今のうちにいっぱい遊んで、いっぱい勉強して、思い出をたくさん作っておいてください。
そして50年後の若葉小学校の生徒たちに「僕たちはこんなに沢山楽しいことをしましたよ」と話してあげてください。
そうする為にも、これから「若葉小学校に通っていて良かったな!」と思えるような生活を皆さん、送っていってください。若葉小学校は本当に素晴らしい小学校だと分かりますよ。
みんなで仲良くがんばってください。

私の話しはこれで終わります。
  


Posted by おちゃいち at 22:38Comments(3)地域活動

2011年11月14日

くまもとのお茶(2)



私は熊本市の東部、「健軍商店街」で「おちゃいち山陽堂」というお茶屋を営んでいます。

さて、熊本では北から南までお茶の産地が広がっていると書きました。

ではどのような風に産地として成り立っているのでしょうか。
一例として、山鹿地方(鹿北、菊鹿)の茶産地を見てみると、こんな具合です。
山鹿は熊本県の北部ですが、地図で表すとこんな感じです。



南北に国道3号線が通り、北に行くとすぐに福岡県八女地方です。
言ってみれば八女とは山を挟んでお隣どうしなのです。
その中に10軒ほどの茶工場があります。



赤丸を付けたところがみんなお茶の生産者(茶工場)です。
これは山鹿、鹿北地方の茶産地マップからですが、
それぞれが競い合いながらお茶作りに励んでいます。
このマップの解説によると、
「鹿北、菊鹿地区のお茶は江戸時代(寛永年間の初期、1630年頃)から肥後藩細川家の御前茶として献上されてきました。このことからも分かるように、鹿北、菊鹿地方はお茶の栽培にとても適した土地です」
とあります。
それはそうでしょうね、お隣の八女地方も全国的に有名な産地なのですから。


この地方は中山間地が多く、山肌を縫うように茶畑が広がっている風景を良く見ます。


  


Posted by おちゃいち at 22:42Comments(0)お茶について

2011年11月09日

くまもとのお茶(1)

私は熊本市の東部、「健軍商店街」で「おちゃいち山陽堂」というお茶屋を営んでいます。

ずいぶん記事の間隔が空いてしまいましたが・・(^_^;)
何と言ってもやっぱり情報発信は大事だよ~、と再び思い至りましたので、
これからまたぼちぼちと更新いたします。

さて、お茶についてです。


皆さんは熊本のお茶についてどのくらいご存じでしょうか。

まずその前に、日本で一番お茶が採れる県は知っていますか?
ほとんどの皆さん、知っていますよね。そう静岡県です。
それでは、2番目に採れる県は?・・ちょっと難しくなりました。
実は鹿児島県です。


大まかに言って静岡で全国の半分くらいの生産量、
鹿児島はその静岡の半分くらいです。今のところ・・。と言うのは、静岡では
茶園面積が年々少しずつ減っているのですが、鹿児島は増えているのです。だから将来的には鹿児島の方が静岡を追い越すのではないか、・・と言っている鹿児島茶業関係者もいます。

その後に続く茶生産県としては三重県、宮崎県、京都府、奈良県、福岡県、佐賀県と続きます。
そして、我が熊本県は生産量としては9番目に当たります。
なあんだ、大したことないやんか。と、もしかしたらお思いの方もあるのではないでしょうか。
いやそうではないのですよ、と言いたいところなのですが・・熊本のお茶、どこにも引けを取らないものもあるにはあるのですが、全体として見た場合、全国的にもほとんど知られていないし、やや個性に欠けるかな、という気は正直します。

しかし、中にはきらりと光るいいお茶もあるわけで、我々茶業者としては、そういうお茶を見つけた時はうれしくなるものです。

さて、それでは熊本の何処で、お茶は採れるのでしょうか?
答え―熊本では北から南まで茶産地が散らばっています。

上の図は熊本県のお茶産地一覧です。
濃い色の地方が茶園面積で200ha以上あるところです。
上益城地方では矢部茶が有名ですが、御船、益城にも大きな茶園があります。
八代地方は泉周辺で多くお茶が作られます。
球磨地方は相良、錦周辺に大規模茶園があり、生産量は県下最大規模を誇ります。

中間の濃さのところは100~200haの規模の地方です。
鹿本地方は鹿北、菊鹿あたりが有名です。
菊池地方でも広い茶園がありますし、良品質のお茶作りは定評があります。
阿蘇地方もさかんです。

この他にも玉名、熊本、宇城、芦北、天草もそれぞれ茶園があり、言ってみればどこでもお茶が作られています。
  
タグ :お茶熊本


Posted by おちゃいち at 22:41Comments(1)お茶について