2009年02月21日
街角コンサートin健軍
土曜日のお昼頃、健軍商店街に来られたお客様は
おや、と思われたかも知れません。バイオリンとチェロ、
それにベースの弦楽奏団が路上でミニコンサートを開きました。

これは熊本交響楽団の若手演奏家の有志の方々が、
アーケードの中で演奏会をしてくださったのです。

比較的ポピュラーな曲を30分ほど、2回演奏していただきました。
演奏はさすがプロといえるもので、たまたま買い物に来られていた
お客様も足を止めて、聞き入っておられました。


その模様を動画で、少しばかりどうぞ・・。
演奏している前を、自転車で横切る人たちがいて、
何となく商店街だな~と思わせる風情です。

おや、と思われたかも知れません。バイオリンとチェロ、
それにベースの弦楽奏団が路上でミニコンサートを開きました。

これは熊本交響楽団の若手演奏家の有志の方々が、
アーケードの中で演奏会をしてくださったのです。

比較的ポピュラーな曲を30分ほど、2回演奏していただきました。
演奏はさすがプロといえるもので、たまたま買い物に来られていた
お客様も足を止めて、聞き入っておられました。


その模様を動画で、少しばかりどうぞ・・。
演奏している前を、自転車で横切る人たちがいて、
何となく商店街だな~と思わせる風情です。

2009年02月20日
健軍自衛隊通り桜まつり
暖かい日が続いたかと思うと寒の戻りがあったりと、
不安定な天気が多いこの頃です。春の変わり目が刻一刻と
近づいているのかも知れません。
もうすぐ3月ですが、3月になると桜の開花予報がちらほらと
出てまいります。健軍で花見といえば自衛隊通りの花見が有名です。

自衛隊通りを700mほど歩行者天国にして、思い思いに花見を
楽しんでもらうというイベントです。始まってから30年以上の歴史が
あります。

(これは第1回目の様子です。)
この桜並木は昭和30年代に商店街の店主たちが皆で苗木を
植えて育てたものなのです。
さて、気になるのは今年の日程ですが、まだはっきりと決まっていません。
けれどこの調子で行くと、3月29日(日)が有力です。

時間は午前11:00から午後5:00までです。
歩行者天国になる場所は下の写真の赤線の部分です。

不安定な天気が多いこの頃です。春の変わり目が刻一刻と
近づいているのかも知れません。
もうすぐ3月ですが、3月になると桜の開花予報がちらほらと
出てまいります。健軍で花見といえば自衛隊通りの花見が有名です。

自衛隊通りを700mほど歩行者天国にして、思い思いに花見を
楽しんでもらうというイベントです。始まってから30年以上の歴史が
あります。

(これは第1回目の様子です。)
この桜並木は昭和30年代に商店街の店主たちが皆で苗木を
植えて育てたものなのです。
さて、気になるのは今年の日程ですが、まだはっきりと決まっていません。
けれどこの調子で行くと、3月29日(日)が有力です。

時間は午前11:00から午後5:00までです。
歩行者天国になる場所は下の写真の赤線の部分です。

2009年02月17日
ピアクレスキッチン

健軍商店街で、一日オーナーたちが日替わりで
手作り食品などを販売している「ピアクレスキッチン」。
やがて2年間になるところですが、皆さん順調に経営され、
スケジュールも結構埋まっています。
それで、健軍商店街のホームページにもやっと

http://www1.ocn.ne.jp/~kengun/
ピアクレスキッチンの月間スケジュールのページが出来ました。

トップページから入っていくことができます。
また、オーナーの皆さんが作っているブログも「おてもやん」に
オープンしています。

「健軍ピアクレスキッチン」http://piakuresu.otemo-yan.net/です。
これからもよろしくお願いいたします。
2008年12月23日
歳末がんばる市

健軍商店街(ピアクレス)では12月27日から31日まで
歳末がんばる市と名付け、ワゴンセールと売り出しを
行います。各店それぞれお買い得品を揃えて、
今年最後の年末セールに突入です!

クリックすると大きく見れます。
今年は後半最後の方になって景気後退の暗いニュースが
続きました。これではますます消費者の財布のヒモも固くなるんで
しょうね(^_^;) それに負けずにガンバリマース!

各店のお買い得チラシです。
当店(おちゃいち)の分です。

「まちの駅」のご紹介。

「彩果園」さんの分もご紹介。

27日から30日まで健軍カードのポイントがもらえる
スタンプラリーも行います!

そんなわけで、年末は健軍商店街(ピアクレス)もお忘れなく。

2008年12月18日
高校生も商店街について考えるノダ
今日は国府高校の生徒さんたちの代表が商店街事務所に
来ていただきました。

去る11月22~24日に行われました商店街イベントに参加して
いただいた生徒さんたちです。
そこでの反省点や健軍商店街の活性化に向けての意見を
言っていただく懇談会なのです。

過日のイベントでは皆さん、よくがんばってもらいました。
商品の仕入れ先もそれぞれグループを組み、探し回ったとのこと。
イベントの前には、近所にチラシをポスティングもしました。
そのおかげでまあまあ満足のいく売上を作ることが出来たようです。

来年に向けての課題などの他に、商店街についての意見、
というか、われわれにとっては鋭い指摘もいただきました。
駐車場の問題、空き店舗の問題、駐輪の問題などです。
私たちがそれこそ十数年以上抱えてきた問題でありまして、
改めて、どうなのですか、と言われているようであります。(汗)
指摘も受けつつ、健軍商店街にエールを送っていただいていると
感じる部分もあります。
若い高校生の皆さんが商店街での実際の販売を通じて、
お客さんとのふれあいを肌で感じてもらえたならば、
これはとても良い機会になったのではと思います。

やはり紛れ込んでいたようだ。
女子高生に化けたおやじが・・。

来ていただきました。

去る11月22~24日に行われました商店街イベントに参加して
いただいた生徒さんたちです。
そこでの反省点や健軍商店街の活性化に向けての意見を
言っていただく懇談会なのです。

過日のイベントでは皆さん、よくがんばってもらいました。
商品の仕入れ先もそれぞれグループを組み、探し回ったとのこと。
イベントの前には、近所にチラシをポスティングもしました。
そのおかげでまあまあ満足のいく売上を作ることが出来たようです。

来年に向けての課題などの他に、商店街についての意見、
というか、われわれにとっては鋭い指摘もいただきました。
駐車場の問題、空き店舗の問題、駐輪の問題などです。
私たちがそれこそ十数年以上抱えてきた問題でありまして、
改めて、どうなのですか、と言われているようであります。(汗)
指摘も受けつつ、健軍商店街にエールを送っていただいていると
感じる部分もあります。
若い高校生の皆さんが商店街での実際の販売を通じて、
お客さんとのふれあいを肌で感じてもらえたならば、
これはとても良い機会になったのではと思います。

やはり紛れ込んでいたようだ。
女子高生に化けたおやじが・・。

2008年11月30日
街の歴史(健軍)3
昭和18年健軍の地に完成した三菱航空機製作所は
昭和20年の終戦の年とともに工場の清算に入りました。
飛行場まで入れると140万坪もの土地を買収して工場を建て、
最大時18000人もの人員が働いた大工場です。
閉鎖されて、残った広大な土地は戦後の東部地区発展にとって
重要なベースとなったのです。
国有地となった三菱工場跡地にその後官公庁、諸学校、公共団体
公営住宅などが次々に移転、建設されてきます。
さて、三菱の社宅跡に出来た健軍商店街ですが、最初から商店の
集合があったわけではありません。
売却された社宅に住む人が増えだし、昭和25年ころからぼつぼつ
健軍電停付近に商店が出来始めました。
その後昭和28年の白川大水害を契機に、東部地区に移り住む人達
も増えだし、線としての商店街が少しづつ形作られるようになりました。

(その頃の健軍電停付近)
当時店舗数は約30店舗程度だったそうです。

(昭和30年頃の山陽堂)
店の店主たちが協力して商店街の組織作りを始めだしたのもこの頃です。
現在桜の開花時期になると大変にぎわう自衛隊通りの桜並木も、この頃
商店主たちが力を合わせて植えました。

昭和32年に「ニコニコ堂」の前身となる「銀栄会」というスーパーが
出来、34年には木製の片側アーケードが出来ました。
そして周辺の人口増加に伴い商店の数も増えていきます。
昭和40年には現在の「サンリブ健軍」の場所に「かめ屋」という
スーパーも出来て、集客力が増していきます。
45年に「かめ屋」は「大洋ショッピングセンター」に移譲され、
ますます広域からお客さんが集まってくるようになります。



その後昭和47年アーケード改装、48年大洋デパート火災で
「マルショク」が「大洋ショッピングセンター」を買収。
50年頃には「マルショク」(現サンリブ健軍)と「ニコニコ堂」の
両スーパーによる二つの核で繁栄期を迎えます。
さて、繁栄期や絶頂期ばかり続かないのは人の世の常。
その後の時代の流れはうねうねと蛇行を繰り返しながら分散して
いったようです。
商店街がいま抱える問題はいくつもあり、軽々に論じられることでは
ありません。
ただ言えるのは、過去の創業者たちはお客様に真摯に向き合い
真心こめて商売してきたということ。
私たちも今のお客様のことをもっと大事に考え、
もっとちゃんと向き合っていかなければならないのではないか。
そのような気持ちの部分にこれからの商店街復活のカギが
あるのではないかと、考えたりします。

昭和20年の終戦の年とともに工場の清算に入りました。
飛行場まで入れると140万坪もの土地を買収して工場を建て、
最大時18000人もの人員が働いた大工場です。
閉鎖されて、残った広大な土地は戦後の東部地区発展にとって
重要なベースとなったのです。
国有地となった三菱工場跡地にその後官公庁、諸学校、公共団体
公営住宅などが次々に移転、建設されてきます。
さて、三菱の社宅跡に出来た健軍商店街ですが、最初から商店の
集合があったわけではありません。
売却された社宅に住む人が増えだし、昭和25年ころからぼつぼつ
健軍電停付近に商店が出来始めました。
その後昭和28年の白川大水害を契機に、東部地区に移り住む人達
も増えだし、線としての商店街が少しづつ形作られるようになりました。

(その頃の健軍電停付近)
当時店舗数は約30店舗程度だったそうです。

(昭和30年頃の山陽堂)
店の店主たちが協力して商店街の組織作りを始めだしたのもこの頃です。
現在桜の開花時期になると大変にぎわう自衛隊通りの桜並木も、この頃
商店主たちが力を合わせて植えました。

昭和32年に「ニコニコ堂」の前身となる「銀栄会」というスーパーが
出来、34年には木製の片側アーケードが出来ました。
そして周辺の人口増加に伴い商店の数も増えていきます。
昭和40年には現在の「サンリブ健軍」の場所に「かめ屋」という
スーパーも出来て、集客力が増していきます。
45年に「かめ屋」は「大洋ショッピングセンター」に移譲され、
ますます広域からお客さんが集まってくるようになります。



その後昭和47年アーケード改装、48年大洋デパート火災で
「マルショク」が「大洋ショッピングセンター」を買収。
50年頃には「マルショク」(現サンリブ健軍)と「ニコニコ堂」の
両スーパーによる二つの核で繁栄期を迎えます。
さて、繁栄期や絶頂期ばかり続かないのは人の世の常。
その後の時代の流れはうねうねと蛇行を繰り返しながら分散して
いったようです。
商店街がいま抱える問題はいくつもあり、軽々に論じられることでは
ありません。
ただ言えるのは、過去の創業者たちはお客様に真摯に向き合い
真心こめて商売してきたということ。
私たちも今のお客様のことをもっと大事に考え、
もっとちゃんと向き合っていかなければならないのではないか。
そのような気持ちの部分にこれからの商店街復活のカギが
あるのではないかと、考えたりします。

2008年11月29日
街の歴史(健軍)2
前回、健軍商店街の北の部分、自衛隊健軍駐屯地から東町、
第二高校付近を含む広大な土地が三菱重工の飛行機工場で
あったということを書きました。
ここに岡野充俊氏筆の自主出版本「健軍三菱物語」という、
資料として貴重な本があります。

この資料をご紹介しながらもう少し詳しく書きたいと思います。
三菱重工株式会社は昭和15~20年当時、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)
などの優秀な航空機を作っていました。主工場は愛知県名古屋に
ありました。

(零式艦上戦闘機)
昭和16年に陸軍航空本部より増産の指令があり、全国に工場用地を
探した末に熊本の健軍地区が選ばれました。その後土地の買収と
工場建築に取りかかりました。その広さは主工場40万坪、
飛行場100万坪、寮、社宅等福利厚生施設40万坪と広大なものでした。
昭和19年1月にいよいよ「熊本航空機製作所」として発足しましたが
まだ設備は完全ではなく、戦況も悪化しつつありました。

(工場の一部、板金工場)
作られていた飛行機は「飛龍」という爆撃機です。

名古屋で部品を作り、熊本に運び組み立てるという工程で、4月ごろに
1号機が完成したようです。
その後、終戦の20年8月までに計46機を完成させました。
昭和20年になると米軍の爆撃が激しくなり、工場の稼動能率も
かなり落ちたようです。
この「健軍三菱物語」は当時工場で働いていた方たちの回想を
多く載せてあり、それを読むと当時の過酷な作業実態、それにも
かかわらずとても誠実に仕事に取り組まれた人たちのことなどが
よく分かります。

そしてなにより爆撃の被害に遭われた方々の壮烈な実体験は、戦争の
悲惨さと愚かさをよく伝えてくれます。
貴重な本です。
さて、そうして終戦を迎えて、健軍はどう変わっていくのでしょう。
(以下続きます)
第二高校付近を含む広大な土地が三菱重工の飛行機工場で
あったということを書きました。
ここに岡野充俊氏筆の自主出版本「健軍三菱物語」という、
資料として貴重な本があります。

この資料をご紹介しながらもう少し詳しく書きたいと思います。
三菱重工株式会社は昭和15~20年当時、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)
などの優秀な航空機を作っていました。主工場は愛知県名古屋に
ありました。

(零式艦上戦闘機)
昭和16年に陸軍航空本部より増産の指令があり、全国に工場用地を
探した末に熊本の健軍地区が選ばれました。その後土地の買収と
工場建築に取りかかりました。その広さは主工場40万坪、
飛行場100万坪、寮、社宅等福利厚生施設40万坪と広大なものでした。
昭和19年1月にいよいよ「熊本航空機製作所」として発足しましたが
まだ設備は完全ではなく、戦況も悪化しつつありました。

(工場の一部、板金工場)
作られていた飛行機は「飛龍」という爆撃機です。

名古屋で部品を作り、熊本に運び組み立てるという工程で、4月ごろに
1号機が完成したようです。
その後、終戦の20年8月までに計46機を完成させました。
昭和20年になると米軍の爆撃が激しくなり、工場の稼動能率も
かなり落ちたようです。
この「健軍三菱物語」は当時工場で働いていた方たちの回想を
多く載せてあり、それを読むと当時の過酷な作業実態、それにも
かかわらずとても誠実に仕事に取り組まれた人たちのことなどが
よく分かります。

そしてなにより爆撃の被害に遭われた方々の壮烈な実体験は、戦争の
悲惨さと愚かさをよく伝えてくれます。
貴重な本です。
さて、そうして終戦を迎えて、健軍はどう変わっていくのでしょう。
(以下続きます)
2008年11月28日
街の歴史1
私たちは自分たちが住んでいる街の歴史について知りたいものです。
歴史を知ることにより、さらに街への愛着が生まれることもあるし、
次の時代への思いも広がるものです。
そんなわけで、健軍商店街の歴史をたどってみたいと思います。
健軍地区には戦時中大きな飛行機工場がありました。
三菱重工の熊本工場です。
戦前もずっと前からあったわけではありません。戦争がはじまってから
作られた工場です。大急ぎで土地を買収して作られました。
それも昭和17年か18年のことですから、終戦ぎりぎりですね。
だからたくさんの飛行機はつくれませんでした。
ちなみに健軍という地名はかって軍需工場があった、あるいは
現在自衛隊があるからその地名が付いたのか?と思われる方も
あるかもしれませんが、それよりずっと以前からある地名です。
健軍(たけみや)と呼ばれていた頃もあったそうです。
私の勘ぐりですが、三菱と軍部が当時、工場用地を探していた時に
「健軍」という名前がどこかでひっかかったのではないか、と感じています。
さて下の写真は昭和20年の健軍地区の航空写真です。

大きな赤の楕円形に囲まれたところが三菱の工場です。
その下の赤い線が今の健軍商店街です。
さらにその下には江津湖があります(下江津湖)
この写真に入りきらない上の方に飛行場がありました。
もう少し広い範囲の地図が下の図です。

工場の上には飛行場がありました。この飛行場、戦後もしばらくは
熊本飛行場として使われていました。
私が小学校の時の遠足で、この熊本飛行場に行った記憶があります。
ここのあとには現在の県立大や日赤病院が建ちました。
国体道路が横切る、一帯です。
ところで、地図の中に社宅、寮とあります。
健軍商店街がある地区は工場の社宅用の土地でした。
(以下続きます)

歴史を知ることにより、さらに街への愛着が生まれることもあるし、
次の時代への思いも広がるものです。
そんなわけで、健軍商店街の歴史をたどってみたいと思います。
健軍地区には戦時中大きな飛行機工場がありました。
三菱重工の熊本工場です。
戦前もずっと前からあったわけではありません。戦争がはじまってから
作られた工場です。大急ぎで土地を買収して作られました。
それも昭和17年か18年のことですから、終戦ぎりぎりですね。
だからたくさんの飛行機はつくれませんでした。
ちなみに健軍という地名はかって軍需工場があった、あるいは
現在自衛隊があるからその地名が付いたのか?と思われる方も
あるかもしれませんが、それよりずっと以前からある地名です。
健軍(たけみや)と呼ばれていた頃もあったそうです。
私の勘ぐりですが、三菱と軍部が当時、工場用地を探していた時に
「健軍」という名前がどこかでひっかかったのではないか、と感じています。
さて下の写真は昭和20年の健軍地区の航空写真です。

大きな赤の楕円形に囲まれたところが三菱の工場です。
その下の赤い線が今の健軍商店街です。
さらにその下には江津湖があります(下江津湖)
この写真に入りきらない上の方に飛行場がありました。
もう少し広い範囲の地図が下の図です。

工場の上には飛行場がありました。この飛行場、戦後もしばらくは
熊本飛行場として使われていました。
私が小学校の時の遠足で、この熊本飛行場に行った記憶があります。
ここのあとには現在の県立大や日赤病院が建ちました。
国体道路が横切る、一帯です。
ところで、地図の中に社宅、寮とあります。
健軍商店街がある地区は工場の社宅用の土地でした。
(以下続きます)

2008年11月23日
健軍のイベント2
健軍商店街で行なわれている「健軍、農村地域間交流フェスティバル」
リポート第2弾です。
本日のイベントは、まず最初は熊本市消防音楽隊コンサート。
親しみのあるメロディを華麗に演奏します。

午後から中沢堅司さんのミニライブ。
耳にやさしい歌声が商店街に響きます。
あのなつかしの「思い出がいっぱい」など30分以上唄ってくれました。
昨日と今日はくまもと市電の中でライブを行う「市電ライブ」をして
くれたとのこと。電車の中で聞く中沢さんの歌も格別だったのでは
ないでしょうか。

ワゴンセールでは熊本国府高校の「国府高校市場」。高校生が元気良い
掛け声でお客さんを呼び込みます。

生徒が自分たちで商品を仕入れ、工夫をこらして販売しています。

農産物、お菓子、海産物、漬物、農産加工品その他たくさんの品物が
並べられています。サァ、イッパイ売ろうね!
そして「残そう80歳で20本の歯、8020運動」のコーナーでは歯に関する
相談コーナーが設けられていました。

今日は実は演奏風景のさわりだけでもご紹介したいと思っていたの
ですが、演奏は著作権のからみがあるので、自粛とあいなりました。
ビデオ乱発ならず、残念。

飛びいり参加するのはいいが、
ステージで心臓マヒだけは起こさないでほしい。

リポート第2弾です。
本日のイベントは、まず最初は熊本市消防音楽隊コンサート。
親しみのあるメロディを華麗に演奏します。

午後から中沢堅司さんのミニライブ。
耳にやさしい歌声が商店街に響きます。
あのなつかしの「思い出がいっぱい」など30分以上唄ってくれました。
昨日と今日はくまもと市電の中でライブを行う「市電ライブ」をして
くれたとのこと。電車の中で聞く中沢さんの歌も格別だったのでは
ないでしょうか。

ワゴンセールでは熊本国府高校の「国府高校市場」。高校生が元気良い
掛け声でお客さんを呼び込みます。

生徒が自分たちで商品を仕入れ、工夫をこらして販売しています。

農産物、お菓子、海産物、漬物、農産加工品その他たくさんの品物が
並べられています。サァ、イッパイ売ろうね!
そして「残そう80歳で20本の歯、8020運動」のコーナーでは歯に関する
相談コーナーが設けられていました。

今日は実は演奏風景のさわりだけでもご紹介したいと思っていたの
ですが、演奏は著作権のからみがあるので、自粛とあいなりました。
ビデオ乱発ならず、残念。

飛びいり参加するのはいいが、
ステージで心臓マヒだけは起こさないでほしい。

2008年11月22日
健軍のイベント
本日から3日間健軍商店街では
「健軍・農村地域間交流フェスティバル」を行っています。
山都町や益城町からの農産品、それに国府高校の生徒さん
たちによる模擬店などがあり、それに数々のステージイベント
などの多彩な催しものが繰り広げられます。

今日はオープニングセレモニーで「城南こばと太鼓クラブ」の演奏や
泉ヶ丘子供みこしが練り歩きました。
城南こばと太鼓クラブの皆さんの演奏です。
なかなか迫力がありました。
泉ヶ丘校区子供みこしの行列です。
これは泉ヶ丘校区の各町内ごとに工夫をこらしたみこしを
作り、練り歩いて、子供達の安全を願う行事です。
今日は子供と親たち、約500人が参加しました。
このイベント、明日は11:30から熊本市消防音楽隊コンサート
12:30と16:00から熊本市8020健康作りの会の寸劇などの
パフォーマンス。
14:00から琉球国祭り太鼓(エイサー)
15:00から中沢堅司ミニライブ
などがあります。
お時間がありましたら是非健軍商店街(ピアクレス)へお越し
ください。

「健軍・農村地域間交流フェスティバル」を行っています。
山都町や益城町からの農産品、それに国府高校の生徒さん
たちによる模擬店などがあり、それに数々のステージイベント
などの多彩な催しものが繰り広げられます。

今日はオープニングセレモニーで「城南こばと太鼓クラブ」の演奏や
泉ヶ丘子供みこしが練り歩きました。
城南こばと太鼓クラブの皆さんの演奏です。
なかなか迫力がありました。
泉ヶ丘校区子供みこしの行列です。
これは泉ヶ丘校区の各町内ごとに工夫をこらしたみこしを
作り、練り歩いて、子供達の安全を願う行事です。
今日は子供と親たち、約500人が参加しました。
このイベント、明日は11:30から熊本市消防音楽隊コンサート
12:30と16:00から熊本市8020健康作りの会の寸劇などの
パフォーマンス。
14:00から琉球国祭り太鼓(エイサー)
15:00から中沢堅司ミニライブ
などがあります。
お時間がありましたら是非健軍商店街(ピアクレス)へお越し
ください。

2008年11月02日
健軍文化ホール
今日は健軍文化ホールに会議室の使用申請に行ってきました。
今月末に研修会用に会議室を使うためです。
そこで今回は健軍文化ホールの紹介をしたいと思います。
まずは商店街からの道順です。
商店街の中を南方向を目指して歩きます。市電電停と反対側です。

とにかくアーケードが終わるまで歩くと交差点に出ます。

(商店街の南側)
この交差点が動植物園から続く、いわゆる「動物園通り」です。

この交差点は現在、道路拡幅のための工事が行われています。
大型車をこの交差点で曲がりやすくするためです。
この道を動植物園と反対方向へ進みます。
50mほど行くと右側に「健軍文化ホール」の看板が見えてきます。

その看板を右手に入ると施設の中です。


入って左手がホールの入り口で、ホールの収容人員は約300名、
音楽コンサートなどが上演できます。

正面には住民票や印鑑証明などの交付が出来るサービスカウンター
を併設した事務所があり、2~3階には約100㎡のパーティールームを
はじめ、3つの会議室、2つの音楽練習室などがあります。
さてこの健軍文化ホールでは今月、11月22~24日に自主文化事業として
「たけみやアートフォレスト2008」を開催します。
この期間は健軍商店街でも「健軍・農村地域間交流フェスティバル」が
行われます。
たけみやアートフォレスト2008のスケジュールは下記のとおりです。

(クリックして大きく出来ます)

(クリックして大きく出来ます)
中沢堅司さんは23日には健軍商店街の中でもミニライブを
していただきます。
このように東部の文化拠点としての健軍文化ホールは、
地域の各種行事やイベントにおおいに活用されています。


おやじバンドはまだ青い。91歳のギターマン
ひざも踊ってるぜ!
今月末に研修会用に会議室を使うためです。
そこで今回は健軍文化ホールの紹介をしたいと思います。
まずは商店街からの道順です。
商店街の中を南方向を目指して歩きます。市電電停と反対側です。

とにかくアーケードが終わるまで歩くと交差点に出ます。

(商店街の南側)
この交差点が動植物園から続く、いわゆる「動物園通り」です。

この交差点は現在、道路拡幅のための工事が行われています。
大型車をこの交差点で曲がりやすくするためです。
この道を動植物園と反対方向へ進みます。
50mほど行くと右側に「健軍文化ホール」の看板が見えてきます。

その看板を右手に入ると施設の中です。


入って左手がホールの入り口で、ホールの収容人員は約300名、
音楽コンサートなどが上演できます。

正面には住民票や印鑑証明などの交付が出来るサービスカウンター
を併設した事務所があり、2~3階には約100㎡のパーティールームを
はじめ、3つの会議室、2つの音楽練習室などがあります。
さてこの健軍文化ホールでは今月、11月22~24日に自主文化事業として
「たけみやアートフォレスト2008」を開催します。
この期間は健軍商店街でも「健軍・農村地域間交流フェスティバル」が
行われます。
たけみやアートフォレスト2008のスケジュールは下記のとおりです。

(クリックして大きく出来ます)

(クリックして大きく出来ます)
中沢堅司さんは23日には健軍商店街の中でもミニライブを
していただきます。
このように東部の文化拠点としての健軍文化ホールは、
地域の各種行事やイベントにおおいに活用されています。


おやじバンドはまだ青い。91歳のギターマン
ひざも踊ってるぜ!
2008年10月27日
健軍商店街秋のイベント
健軍商店街、今年の秋のイベントといえば
「健軍・農村地域間交流フェスティバル」です。

これは都市部と農村の交流を深め、お互いに行き来し、特産物の販売
などを通してそれぞれの地域の活性化を図ろうという趣旨のもと
行われるイベントです。その一環として先日の山都町訪問などがありました。
そして今度は健軍商店街でのイベント開催となるのです。
日時は11月22(土)23(日)24(月)の3日間で
ピアクレス(健軍商店街)アーケード内と健軍文化ホールで
行われます。
詳しい内容は11月になってからお知らせするとして、
今日はさわりだけちょっと紹介します。
初日には泉ヶ丘校区の「子供みこし」や城南こばと太鼓クラブ、
それから益城町の広安西小学校音楽部演会などが楽しめます。

16:00からは熊本国府高校軽音楽部演奏会の演奏もあります。

23日は熊本市消防音楽隊の演奏や中沢堅司のミニライブなどもあります。

24日は東野中学校吹奏楽部演奏会。それから3日間通して
琉球國祭り太鼓(エイサー)の演舞が行われます。

そして通りに並ぶのはワゴンセールです。
今回は各商店以外にも熊本国府高校の生徒たちによる模擬店や
「山都町」、「ましきメッセもやい市」の皆さんがワゴンブースで沢山の特産物を
販売します。
盛りだくさんに行われる「健軍・農村地域間交流フェスティバル」
どうぞのぞきに来てみてください。

「健軍・農村地域間交流フェスティバル」です。

これは都市部と農村の交流を深め、お互いに行き来し、特産物の販売
などを通してそれぞれの地域の活性化を図ろうという趣旨のもと
行われるイベントです。その一環として先日の山都町訪問などがありました。
そして今度は健軍商店街でのイベント開催となるのです。
日時は11月22(土)23(日)24(月)の3日間で
ピアクレス(健軍商店街)アーケード内と健軍文化ホールで
行われます。
詳しい内容は11月になってからお知らせするとして、
今日はさわりだけちょっと紹介します。
初日には泉ヶ丘校区の「子供みこし」や城南こばと太鼓クラブ、
それから益城町の広安西小学校音楽部演会などが楽しめます。

16:00からは熊本国府高校軽音楽部演奏会の演奏もあります。

23日は熊本市消防音楽隊の演奏や中沢堅司のミニライブなどもあります。

24日は東野中学校吹奏楽部演奏会。それから3日間通して
琉球國祭り太鼓(エイサー)の演舞が行われます。

そして通りに並ぶのはワゴンセールです。
今回は各商店以外にも熊本国府高校の生徒たちによる模擬店や
「山都町」、「ましきメッセもやい市」の皆さんがワゴンブースで沢山の特産物を
販売します。
盛りだくさんに行われる「健軍・農村地域間交流フェスティバル」
どうぞのぞきに来てみてください。

2008年10月26日
山都町有機農産物フェアー

健軍、農村地域間交流の一環として、山里体験バスツアーが
本日行われました。
これは都市部の住民の方々に山里の農作業体験をしてもらい
併せて有機農産物フェアーに参加してもらおうという試みです。
朝からどんよりとした天気で、雨がふらなければいいが、という
お天気です。
事前の連絡で、午前中に予定していた農作業体験で脱穀作業の経験が
前日の雨の影響で出来なくなり、かわりに山都町ミニ観光をしていただくことになりました。
農作業を期待されていた方には残念なことですが降雨のためと
あれば仕方ありません。

通潤橋の放水を見学した後
鮎の瀬大橋に行くことになりました。

この鮎の瀬大橋は緑川渓谷にかかる吊り橋で、長さ390m
高さ190mの橋です。
この橋の上から見下ろす谷の風景が絶景です。
眺めながら歩いていると、川のほとりにこじんまりと
茶畑が見えます。さすがお茶の里、旧矢部町です。

そうやってしばらく観光の後、お目当ての山都町有機農産物フェアーの会場につきました。
色々な農産物や特産物のコーナーがテントの中に
並べてあります。
おお、ふと見ると、ブログ講座でご一緒している「ほろす」さんの
コーナーではありませんか。
「ほろす」さんのハーブティー、初めて飲ませていただきました。
おっ、この香り。緑茶のおとなしめで、やや単調な香りに比べ
とてもはっきりとしていながらマイルドな香りです。
飲ませていただいたのは矢部茶ブレンド「爽の黄」と「美の赤」の
試飲サンプルです。
お茶とハーブ数種類のブレンド、これはおもしろい香りと味で
とても興味を惹かれました。
お~っと、「ほろす」さんのコーナーの写真を撮るのを忘れちゃった。
いい写真が撮れたかもしれなかったけど、スイマセン。
ハーブティーの写真を置きます。

さて、有機農産物フェアーは少し小雨まじりの中、子供達の太鼓や
高校生のブラスバンド、琉球エイサーなどの出し物を見ながら
進みました。

いくつかのテントで有機農産物や惣菜などが販売され、
有機農産物の書籍なども並べられていました。
山都町は有機農業に意欲的に取り組んでいる町です。
標高の高さも条件としてメリットに働いているのかも知れません。
この利点を生かしてこれからも積極的に進めて、大いに
アピールしていただきたいと思います。

日本の農業は守らなくてはならない。
日本に来た時、稲刈りをやってもらおう。オバマさんに。

2008年10月22日
ピアクレスキッチン
ピアクレスキッチンをご存知でしょうか。

商店街が空き店舗の有効利用を促進するために行っている事業で
一般の人達が手作りの商品を空店舗を使って販売できる仕組みです。
1日の使用料は1000円。
手軽に利用しやすい料金が受けて何日かおきに継続的に出店する
オーナーも増えてきました。
そしてこのピアクレスキッチンも開始から1周年を迎えました。

今日(22日)の1日オーナーは2人組で出されている「幸ちゃん(さっちゃん)」です。

メニューが前に出してあります。どれどれ。

この「幸ちゃん」の今日のメニューはお弁当とおかず、それと自慢のだご汁です。


それともう一つの売れ筋自慢のロールケーキ、これは午後からの販売です。
それぞれの「一日オーナー」は工夫しながらメニューを研究しています。
また、各々にいつものお得意様がついていらっしゃいます。
10月のこれからのスケジュールです。
来年の3月までは継続決定です。
それ以降も続けていきたいですネ。


ピアクレスキッチンパパ
そう、今のうちに料理を身につけといたほうが・・。


商店街が空き店舗の有効利用を促進するために行っている事業で
一般の人達が手作りの商品を空店舗を使って販売できる仕組みです。
1日の使用料は1000円。
手軽に利用しやすい料金が受けて何日かおきに継続的に出店する
オーナーも増えてきました。
そしてこのピアクレスキッチンも開始から1周年を迎えました。


今日(22日)の1日オーナーは2人組で出されている「幸ちゃん(さっちゃん)」です。

メニューが前に出してあります。どれどれ。

この「幸ちゃん」の今日のメニューはお弁当とおかず、それと自慢のだご汁です。


それともう一つの売れ筋自慢のロールケーキ、これは午後からの販売です。
それぞれの「一日オーナー」は工夫しながらメニューを研究しています。
また、各々にいつものお得意様がついていらっしゃいます。
10月のこれからのスケジュールです。
来年の3月までは継続決定です。
それ以降も続けていきたいですネ。


ピアクレスキッチンパパ
そう、今のうちに料理を身につけといたほうが・・。

2008年10月18日
ある土曜日の健軍商店街
健軍商店街
今日18日は朝の清掃の日です。
今回は一般のお客様のボランティアも募集して行います。
参加されたお客様には「健軍カード」100ポイントを差し上げます。
朝の8時集合で、約1時間の朝の清掃です。

アーケードの中や駐車場などを皆で手分けして掃除いたしました。
11時からは健軍カードの交換会が行われました。
ぴあスタンプの時から今まで毎月1回、すでに150回以上行われてきた
交換会ですが、今回は初めての試みとして、満点カードに刻印される
番号を指定した交換会です。

今日の交換会では130枚ほどのカードを交換いたしました。

終わればもう12時です。
お隣の「まちの駅」でお弁当でも買って
いただきま~す。


健軍版レレレのおじさん
(オリジナルとだいぶ違うな~)
今日18日は朝の清掃の日です。
今回は一般のお客様のボランティアも募集して行います。
参加されたお客様には「健軍カード」100ポイントを差し上げます。
朝の8時集合で、約1時間の朝の清掃です。

アーケードの中や駐車場などを皆で手分けして掃除いたしました。
11時からは健軍カードの交換会が行われました。
ぴあスタンプの時から今まで毎月1回、すでに150回以上行われてきた
交換会ですが、今回は初めての試みとして、満点カードに刻印される
番号を指定した交換会です。

今日の交換会では130枚ほどのカードを交換いたしました。

終わればもう12時です。
お隣の「まちの駅」でお弁当でも買って
いただきま~す。


健軍版レレレのおじさん
(オリジナルとだいぶ違うな~)

2008年10月10日
商店街のやしの木
健軍商店街には「やしの木」があります。

やしの木が植えられたのは平成4年。
ピアクレスアーケードが完成した時に、アーケード内に緑を、
ということで植樹されました。

あれから16年。当初10本あったやしの木も今では5本ほどになって
しまいました。
でも残ったやし君たちはしっかり健気に育っています。
考えてみるとアーケードの中というのは、植物にとってとても条件が
悪いのですね。
まず雨が降り込まないから水やりが不可欠だということ。
お店の人が水やりしますけど、時々忘れられると、乾燥だぁー。
それから日当たりの点、健軍商店街は朝日と西日の差し込みが
はげしいので、ほとんど屋根を開けれないのです。
だから、花などを植えてもすぐに咲かなくなります。
雨に洗われないので、けっこう埃がくっついてしまいます。
かわいそうなやし君たちです。
3,4年前にもっとかわいそうな事件が起こりました。
ある日、心無い人によって、やしの木の幹が半分くらい
のこぎりのようなもので切られていたのです。

被害に遭ったのは3本くらいでした。
これはもう駄目かな、と思ってしまいましたが
健気なやし君達はなんとか復活できました。

健軍商店街にお寄りの節は、健気なやし君達にも
少しだけ温かい目線をあげてやってください。
植物は人間のやさしい視線で、ちょっと元気が出るかもです。
ちなみにやしと一緒に植えられている植物は場所により
まちまちです。
当店と「まちの駅」の間にあるやしの木の相棒は笹です。
最近元気がよすぎて、やしの根を荒らさないかと、ちと心配です。

笹はたくましい。

昭和30年代以前に生まれたおやじたちの
今年の植毛トレンドは「やしの木ヘアー」だ。
残念ながらアデランスからの販売予定はまだない。

やしの木が植えられたのは平成4年。
ピアクレスアーケードが完成した時に、アーケード内に緑を、
ということで植樹されました。

あれから16年。当初10本あったやしの木も今では5本ほどになって
しまいました。
でも残ったやし君たちはしっかり健気に育っています。
考えてみるとアーケードの中というのは、植物にとってとても条件が
悪いのですね。
まず雨が降り込まないから水やりが不可欠だということ。
お店の人が水やりしますけど、時々忘れられると、乾燥だぁー。
それから日当たりの点、健軍商店街は朝日と西日の差し込みが
はげしいので、ほとんど屋根を開けれないのです。
だから、花などを植えてもすぐに咲かなくなります。
雨に洗われないので、けっこう埃がくっついてしまいます。
かわいそうなやし君たちです。
3,4年前にもっとかわいそうな事件が起こりました。
ある日、心無い人によって、やしの木の幹が半分くらい
のこぎりのようなもので切られていたのです。

被害に遭ったのは3本くらいでした。
これはもう駄目かな、と思ってしまいましたが
健気なやし君達はなんとか復活できました。


健軍商店街にお寄りの節は、健気なやし君達にも
少しだけ温かい目線をあげてやってください。
植物は人間のやさしい視線で、ちょっと元気が出るかもです。
ちなみにやしと一緒に植えられている植物は場所により
まちまちです。
当店と「まちの駅」の間にあるやしの木の相棒は笹です。
最近元気がよすぎて、やしの根を荒らさないかと、ちと心配です。

笹はたくましい。

昭和30年代以前に生まれたおやじたちの
今年の植毛トレンドは「やしの木ヘアー」だ。
残念ながらアデランスからの販売予定はまだない。

2008年10月08日
健軍から山都町へ
今、健軍商店街ではお客様に山里で農作業体験と農産物フェアーの
見学をしていただこうという企画を立てています。

これは、11月に行われる「健軍・農村地域間交流フェスティバル」の一環で
行われるものです。
健軍商店街からバスツアーで山都町まで行き、現地で稲刈りか
野菜収穫の農業体験をしてもらい、同日に行われる
「山都町有機農産物フェアー」に参加して楽しんでもらおうという企画。

(サムネイルです。クリックで拡大します)
参加費無料で、秋の一日をゆっくり田舎の空気を吸いながら過ごす、
というこの企画は今年で2年目ですが、昨年の参加者には大好評でした。
定員は40名で、健軍商店街を朝の8時に出発し、午後4時に帰ってくる
日程です。参加希望の方は健軍商店街事務所まで、
電話は096-368-7312です。
申し込み締め切りは10月14日です。
秋の山里を味わってみませんか。
見学をしていただこうという企画を立てています。

これは、11月に行われる「健軍・農村地域間交流フェスティバル」の一環で
行われるものです。
健軍商店街からバスツアーで山都町まで行き、現地で稲刈りか
野菜収穫の農業体験をしてもらい、同日に行われる
「山都町有機農産物フェアー」に参加して楽しんでもらおうという企画。

(サムネイルです。クリックで拡大します)
参加費無料で、秋の一日をゆっくり田舎の空気を吸いながら過ごす、
というこの企画は今年で2年目ですが、昨年の参加者には大好評でした。
定員は40名で、健軍商店街を朝の8時に出発し、午後4時に帰ってくる
日程です。参加希望の方は健軍商店街事務所まで、
電話は096-368-7312です。
申し込み締め切りは10月14日です。
秋の山里を味わってみませんか。
