2008年11月29日

街の歴史(健軍)2

前回、健軍商店街の北の部分、自衛隊健軍駐屯地から東町、
第二高校付近を含む広大な土地が三菱重工の飛行機工場で
あったということを書きました。

ここに岡野充俊氏筆の自主出版本「健軍三菱物語」という、
資料として貴重な本があります。

街の歴史(健軍)2

この資料をご紹介しながらもう少し詳しく書きたいと思います。

三菱重工株式会社は昭和15~20年当時、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)
などの優秀な航空機を作っていました。主工場は愛知県名古屋に
ありました。

街の歴史(健軍)2
(零式艦上戦闘機)

昭和16年に陸軍航空本部より増産の指令があり、全国に工場用地を
探した末に熊本の健軍地区が選ばれました。その後土地の買収と
工場建築に取りかかりました。その広さは主工場40万坪、
飛行場100万坪、寮、社宅等福利厚生施設40万坪と広大なものでした。

昭和19年1月にいよいよ「熊本航空機製作所」として発足しましたが
まだ設備は完全ではなく、戦況も悪化しつつありました。

街の歴史(健軍)2
(工場の一部、板金工場)

作られていた飛行機は「飛龍」という爆撃機です。

街の歴史(健軍)2

名古屋で部品を作り、熊本に運び組み立てるという工程で、4月ごろに
1号機が完成したようです。
その後、終戦の20年8月までに計46機を完成させました。

昭和20年になると米軍の爆撃が激しくなり、工場の稼動能率も
かなり落ちたようです。
この「健軍三菱物語」は当時工場で働いていた方たちの回想を
多く載せてあり、それを読むと当時の過酷な作業実態、それにも
かかわらずとても誠実に仕事に取り組まれた人たちのことなどが
よく分かります。

街の歴史(健軍)2

そしてなにより爆撃の被害に遭われた方々の壮烈な実体験は、戦争の
悲惨さと愚かさをよく伝えてくれます。
貴重な本です。

さて、そうして終戦を迎えて、健軍はどう変わっていくのでしょう。


(以下続きます)




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Posted by おちゃいち at 17:06│Comments(0)健軍商店街
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