2008年11月07日
お茶の来た道3「茶の湯」
お茶の歴史シリーズ3回目です。

鎌倉時代の『栄西』によって広められたお茶。
最初の頃こそ禅宗のお坊さんが座禅をする時に眠気を払うものとして、
また薬としても飲まれていました。
やがて嗜好(しこう)飲料としても飲まれるようになっていきます。
当時の武士たちがさかんに茶を飲むようになり、そのうちに茶の
味を飲み比べたりして遊ぶことが行われるようになります。
それを闘茶(とうちゃ)と言います。また、茶歌舞伎、茶寄合とも
言います。
闘茶は武士、公家、僧侶の間で流行となり、遊びとして徐々に派手
さを増していきます。終わると酒宴になり景品なども出たようです。
またこの頃から裕福な町人も現れるようになり、唐物の道具を競ったり
しました。

しかし、室町幕府の力が衰え、世の中が乱れてくると人の心も
すさんできます。その中で、お茶の本来の心である禅の心を
取り戻そうという動きが現れます。自分のあり方、いき方を変える
精神性を求める人々が出てきます。
茶の湯の開祖と言われる村田珠光(むらたじゅこう)やそれを引き
継いだ武野紹鴎(たけのじょうおう)、そして茶の湯を大成した
千利休です。

(千利休)
それでは茶の湯とはどういうもので、どのような思想だったのでしょう。
5つの性格があると言われています。
1、社交 ― 人と人との付き合いの場
2、儀礼 ― 人と付き合うための作法
3、修行 ― 人間を向上させるもの
4、芸術 ― 芸術を表現し、鑑賞する
5、遊興 ― 楽しみ
この5つのどれを強調するかは、時代と茶の湯を行う人の考え方により
変わってきます。
また思想は「わび、さび」という言葉に象徴されます。これは禅の姿
を追求した思想で、人間のあるべき姿を指し示すことです。
ただこの言葉は抽象的であるゆえに色々な解釈の仕方があります。
良く分からないという方のために、私なりの解釈を披露いたします。
「わびしい」という状態がどのようなものかと考えると、物を持ってない
のでわびしい、などと使います。つまり色々な虚飾や富を捨てた状態です。
「さびしい」というのは、親がいないから寂しい、友人がいないから寂しい
などと使います。つまり孤独な心です。
さらに茶の湯では茶室を使います。茶室とは日常から切り離した世界の
ことです。そこで、全てを捨て去った素の人間(わび、さびの心を持つ人)
として、人と合間見えるあるいは自分と対峙する。そこから自分の
あり様を変えていく。そのようなストイックな心ではなかったかと思います。
これは5つの性格の中の修行の部分に重きを置いた思想です。
まあそういう精神的、哲学的部分と、例えば秀吉の「黄金の茶室」に
代表されるような物質主義、芸術主義も混在します。それだけ多様性
あふれた世界だったと言うこともできると思います。

(秀吉の黄金の茶室(左)と利休の茶室(右))
こうして茶の湯は織田、豊臣の戦国時代から江戸時代へと文化の花形の
一つとして、時代によってその性格を少しづつ変えながら、受け継がれて
行きます。
そして江戸時代には茶の世界にもう一つのエポックが誕生します。
煎茶の誕生です。
この続きは次回に・・。


鎌倉時代の『栄西』によって広められたお茶。
最初の頃こそ禅宗のお坊さんが座禅をする時に眠気を払うものとして、
また薬としても飲まれていました。
やがて嗜好(しこう)飲料としても飲まれるようになっていきます。
当時の武士たちがさかんに茶を飲むようになり、そのうちに茶の
味を飲み比べたりして遊ぶことが行われるようになります。
それを闘茶(とうちゃ)と言います。また、茶歌舞伎、茶寄合とも
言います。
闘茶は武士、公家、僧侶の間で流行となり、遊びとして徐々に派手
さを増していきます。終わると酒宴になり景品なども出たようです。
またこの頃から裕福な町人も現れるようになり、唐物の道具を競ったり
しました。

しかし、室町幕府の力が衰え、世の中が乱れてくると人の心も
すさんできます。その中で、お茶の本来の心である禅の心を
取り戻そうという動きが現れます。自分のあり方、いき方を変える
精神性を求める人々が出てきます。
茶の湯の開祖と言われる村田珠光(むらたじゅこう)やそれを引き
継いだ武野紹鴎(たけのじょうおう)、そして茶の湯を大成した
千利休です。

(千利休)
それでは茶の湯とはどういうもので、どのような思想だったのでしょう。
5つの性格があると言われています。
1、社交 ― 人と人との付き合いの場
2、儀礼 ― 人と付き合うための作法
3、修行 ― 人間を向上させるもの
4、芸術 ― 芸術を表現し、鑑賞する
5、遊興 ― 楽しみ
この5つのどれを強調するかは、時代と茶の湯を行う人の考え方により
変わってきます。
また思想は「わび、さび」という言葉に象徴されます。これは禅の姿
を追求した思想で、人間のあるべき姿を指し示すことです。
ただこの言葉は抽象的であるゆえに色々な解釈の仕方があります。
良く分からないという方のために、私なりの解釈を披露いたします。
「わびしい」という状態がどのようなものかと考えると、物を持ってない
のでわびしい、などと使います。つまり色々な虚飾や富を捨てた状態です。
「さびしい」というのは、親がいないから寂しい、友人がいないから寂しい
などと使います。つまり孤独な心です。
さらに茶の湯では茶室を使います。茶室とは日常から切り離した世界の
ことです。そこで、全てを捨て去った素の人間(わび、さびの心を持つ人)
として、人と合間見えるあるいは自分と対峙する。そこから自分の
あり様を変えていく。そのようなストイックな心ではなかったかと思います。
これは5つの性格の中の修行の部分に重きを置いた思想です。
まあそういう精神的、哲学的部分と、例えば秀吉の「黄金の茶室」に
代表されるような物質主義、芸術主義も混在します。それだけ多様性
あふれた世界だったと言うこともできると思います。

(秀吉の黄金の茶室(左)と利休の茶室(右))
こうして茶の湯は織田、豊臣の戦国時代から江戸時代へと文化の花形の
一つとして、時代によってその性格を少しづつ変えながら、受け継がれて
行きます。
そして江戸時代には茶の世界にもう一つのエポックが誕生します。
煎茶の誕生です。
この続きは次回に・・。
