2008年11月05日

お茶の来た道①「レッドクリフ」

最近話題の映画「レッドクリフ」見に行ってまいりました。

豪華絢爛なアジアンスターの顔見世興行(?)。
北京オリンピックの開会式パフォーマンスをワクワクして見られた方には
十分楽しめる映画かと思います。
ただし人物内面造詣の深さを追求される方や史実の正確さを重んじる方
は見る前に、これはエンターテインメント(大掛かりな大衆演劇)だと
ご自身に言い聞かせてから見たほうがよさそうです。

さて、「レッドクリフ」は、名高い「三国志」を下敷きに作られています。
日本で三国志を有名にしたのは吉川英次版三国志。
冒頭のエピソードを印象深く覚えていらっしゃる方は結構多いようです。

それは、若き劉備玄徳が二年間働き、節約しながらやっと貯めたお金で
お茶を買い、故郷で彼の帰りを待つ老母の顔を黄河のほとりで思い浮か
べる光景から始まるエピソードです。

当時のお茶は病人に与えるか、よほど貴人でなければ飲まないほど
高価なものでした。
もっともこの部分は吉川英次氏の創作らしく、原本の「三国志演義」には
ありません。

しかし、レッドクリフの中には曹操が擬似愛人(?)に茶を注がせる
シーンがありましたね。まさにお茶が貴人にしか飲めないものの象徴
みたいでした。

それでは、お茶はいつ頃から飲まれ始めたのでしょうか。

お茶はツバキ科の木で学名「カメリア シネンシス」と言いますが、
発祥の地は中国奥地からインド北部にかけてではないかと言われて
います。

中国ではふか~い歴史を持つお茶。
正確な記録がつけられるはるか以前から飲まれていたようです。
760年頃に唐の陸羽が著作した「茶経」(中国最古の茶書)によると、
今から4000年ほど前に三皇の一人である「神農氏」が初めて茶を
飲んだと記されているのですが、4000年前というと中国はまだ
神話時代であって、神農氏は伝説上の人物にすぎません。

前漢時代の宣帝(在位前79―前49年)の時に王褒という人が書いた
「僮約」(寡婦の楊恵と奴隷の便了の契約証文)という文章があります。
この契約条項の中に、武陽というところまで茶を買いにいくこと、という
項目が書かれています。これが文章に明記された茶についての初めて
の記述です。
このことから、少なくとも漢の時代にはすでにお茶が飲まれていたことが
分かりますし、当然もっと以前から飲んでいたのでしょうね。

さて、そのお茶はどのようにして日本に来たのでしょうか。
それはまた、次回に・・。



お茶の来た道①「レッドクリフ」
お茶を持ち、黄河のほとりにたたずむ若き日の劉備玄徳。
すんません、劉備はこんなにボーっとしてないよね。



お茶の来た道①「レッドクリフ」



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Posted by おちゃいち at 22:04│Comments(1)お茶の歴史
この記事へのコメント
お茶の歴史は考えたことも無かったような~。。。生まれたときからすでに存在している飲み物ですから。  だけど気になる。
Posted by かすみそうかすみそう at 2008年11月06日 02:23
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