2008年11月09日

お茶の来た道5「明治維新じゃ」

続けてきました「お茶の歴史」シリーズ。
時代は幕末から明治維新を迎えます。

お茶の来た道5「明治維新じゃ」

明治維新で開国はしたものの日本はまだ経済的に弱小国でした。
重産業はまだまだこれからです。
そんな日本の輸出産業を支えたのが生糸とでした。
当時のお茶は輸出花形商品だったのです。
扱われたのは煎茶で相手国は主にアメリカでした。

お茶の来た道5「明治維新じゃ」

当時のアメリカ人がけっこう煎茶を飲んでいたことは、ちょっと
驚きですね。
だから茶産業も盛んになりました。例えば、最後の将軍
徳川慶喜は明治になり、駿府静岡に帰ることになりましたが
その時に譜代の家来たちが大勢付いて来ました。
この徳永家の家来たちの仕事口の一つとして静岡県の茶園造成が
あったのです。
輸出産物としての需要があったから大規模なお茶作りができたの
でしょう。このおかげで生産高日本一の静岡茶の基礎が出来たのです。

さて、輸出されたお茶の木箱には意匠を凝らせたラベルが貼って
ありました。それは多様なデザインで、当時のデザインレベルが
ずいぶん高かったことが分かります。
このお茶のラベルを蘭字(らんじ)と呼んでいます。
バラエティあふれる蘭字は現在も残り、当時の雰囲気を伝えてくれます。

お茶の来た道5「明治維新じゃ」
(当時の生活などもデザインのテーマになりました)

お茶の来た道5「明治維新じゃ」
(日本の有名な人物も・・)

お茶の来た道5「明治維新じゃ」
(動物などもモチーフとなります)

一時は活況を呈したお茶の輸出ですが、しだいにインドや中国からの
紅茶に押されて輸出が減って行き、貿易の花形の座を降りることに
なります。

戦後になると輸出に代わり国内需要が増えていき、現在にいたるお茶の
近代的生産が確立されていきます。

お茶の来た道5「明治維新じゃ」
シリーズで書いてきましたお茶の歴史はこれでオシマイです。


おまけで蘭字をもう少しお見せしますネ。

お茶の来た道5「明治維新じゃ」

お茶の来た道5「明治維新じゃ」




お茶の来た道5「明治維新じゃ」



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Posted by おちゃいち at 19:41│Comments(2)お茶の歴史
この記事へのコメント
お見事なシリーズでございます。
すっごいデータベースになってきましたね。

ラベルは、わたしもツボです。
このラベルがついた商品が売られていたりするのでしょうか?

それにしても、下の方のラベルは果物が美しいですが、日本茶のラベルですよね?
もしかして既にこのころ、日本茶に果物の香り付けがされたフレーバーティーがあったのでしょうか?
Posted by 熊本県商工政策課熊本県商工政策課 at 2008年11月12日 11:07
熊本県将校政策課様

ラベルは輸出された茶箱に貼られていたものです。

果物はデザインだけで、フレーバーティーではありませんでした。
ちょっと残念(~o~)
Posted by おちゃいち at 2008年11月12日 23:08
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